文化一三年(一八一六)奉献。所謂、「頼光鳥居」と伝わる肥前鳥居で肥前国最古の鳥居と謂われる。奉献年代については後述する。
この頼光鳥居(肥前鳥居)は源頼光が天元三年(九八〇)に奉献したオリジナルではなく、二度目の崩落後に修復奉献された三代目の鳥居であろう。また扁額は鳥居の造りと趣が異なる為、先代の扁額或はオリジナルの可能性も考えられる。下記に頼光鳥居由来を鳥居案内より抜粋する。
頼光鳥居
この鳥居は肥前鳥居として佐賀県最古のもので、今より約一千年前(円融天皇、天元三年)大江山の鬼退治で有名な源頼光が肥前守として、都より下向の際に寄進したものである。田島宮の文字は参議藤原佐里卿の筆である。その後風波の為に崩れ、上松浦党領袖波多氏鳥居を修造して今日に至る。
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当田島神社は田心姫尊、市杵島姫導、湍津姫尊の田島三神を祭神とし、相殿に大山祇神、稚武王尊を配祀します。田島三神は遠い神代の昔に天照皇大御神が素戔嗚尊と剣玉の御誓にて御気吹の中よりお生れなさいました三柱の姫神で御出現になりました。
当社の御鎮座の年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最古い神社の一つとして知られています。当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平十年には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号をお贈りなされた。
大同元年には神封十六戸に充てられ、正四位に列せられ中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、明治四年国幣中社に列格され、毎年勅使を派遣されていたが、戦後宗教法人となり別表神社に編入された。
御神徳
田島大神は、海陸交通安全、航海安全船舶守護、大漁満船、海運漁業者の宗敬が極めて厚く五穀豊穣、商売繁昌の祈願所となり、古来より大陸の要衝でもあり、遣唐使は航海安全を祈願し、古社として崇敬され現在に至っています。
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