2020年1月8日水曜日

田島神社

佐賀県唐津市呼子町加部島に鎮座する田島神社の肥前鳥居(四の鳥居)。
文化一三年(一八一六)奉献。所謂、「頼光鳥居」と伝わる肥前鳥居で肥前国最古の鳥居と謂われる。奉献年代については後述する。





笠木と島木・貫・柱共に三本継。笠木断面は五角形の蒲鉾型で厚みがなく、左右の反り部継が通常の鳥居よりもに長い造り。笠木と島木は一石造りで一体化し、笠木と島木の繰出し幅により島木を表現。笠木反りは継部分から始まるがほぼ平坦で全体的に直線的、船底状鼻先で反り増しを表現している。また、船底状笠木鼻先は笠木が島木を覆う複雑な面構成を持つ。柱転びは緩く傾斜は小さい。スボリに形骸化した台輪と基礎の生け込みに削り出しの亀腹がある。扁額には「田島宮」の銘あり。



柱銘には「寛永十二年乙亥■落 天和元年辛酉十一月吉日 文化十三年歳次丙子四月壊落 同年八月修造之」とある。銘文からこの鳥居は、二度崩落し二回の修復が為されたのが読取れる。鳥居自体は文化十三年(一八一六)の奉献である。柱背後には「天元三庚辰年 懸令波多氏修 造之」銘も見える。

この頼光鳥居(肥前鳥居)は源頼光が天元三年(九八〇)に奉献したオリジナルではなく、二度目の崩落後に修復奉献された三代目の鳥居であろう。また扁額は鳥居の造りと趣が異なる為、先代の扁額或はオリジナルの可能性も考えられる。下記に頼光鳥居由来を鳥居案内より抜粋する。

頼光鳥居
この鳥居は肥前鳥居として佐賀県最古のもので、今より約一千年前(円融天皇、天元三年)大江山の鬼退治で有名な源頼光が肥前守として、都より下向の際に寄進したものである。田島宮の文字は参議藤原佐里卿の筆である。その後風波の為に崩れ、上松浦党領袖波多氏鳥居を修造して今日に至る。

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田島神社 御由緒
当田島神社は田心姫尊、市杵島姫導、湍津姫尊の田島三神を祭神とし、相殿に大山祇神、稚武王尊を配祀します。田島三神は遠い神代の昔に天照皇大御神が素戔嗚尊と剣玉の御誓にて御気吹の中よりお生れなさいました三柱の姫神で御出現になりました。
当社の御鎮座の年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最古い神社の一つとして知られています。当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平十年には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号をお贈りなされた。
大同元年には神封十六戸に充てられ、正四位に列せられ中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、明治四年国幣中社に列格され、毎年勅使を派遣されていたが、戦後宗教法人となり別表神社に編入された。

御神徳
田島大神は、海陸交通安全、航海安全船舶守護、大漁満船、海運漁業者の宗敬が極めて厚く五穀豊穣、商売繁昌の祈願所となり、古来より大陸の要衝でもあり、遣唐使は航海安全を祈願し、古社として崇敬され現在に至っています。

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2020年1月4日土曜日

與止日女神社

佐賀県佐賀市大和町大字川上に鎮座する與止日女神社の肥前鳥居(三の鳥居)。慶長一三年(一六〇八)、佐嘉藩初代藩主鍋島勝茂公の奉献で慶長年間に多く造られた「慶長鳥居」のうちの一つ。
一体化した笠木と島木、および貫と柱は三本継構成。扁額には「肥前鎮守正一位 河上淀姫大明神」の銘。柱には「扶桑国肥前州路鎮守正一位河上淀姫大明神 奉建立石鳥居三柱 鍋島信濃守豊臣朝臣勝茂」の記銘がある。柱の転び(傾斜)はなく直立で下部は太くなり、基部には亀腹を持つ。スボリ(柱上部の狭まる部分)に形骸化した台輪意匠が有る。





笠木反りは両継から始まる直線、船底状鼻先が反増しを表現。断面は五角形の蒲鉾型で上部(笠木)幅が広く盛り上がり下部(島木)幅は小さい。笠木が島木の幅の違いにより両部分を表現しつつ一体化も表現している。さらにその下(柱接続部)に極めて薄い島木を設ける二段島木構造。この様式は稲佐神社、室園神社、内砥川八幡神社の肥前鳥居にも見受けられ、揺籃期肥前鳥居の特徴でもある。

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與止日女神社略記
一、鎮座地 佐賀郡大和町大字川上一番地
一、御祭神 與止日女命(神功皇后の御妹)、また豊玉姫命(竜宮城の乙姫様)とも伝えられている。
一、御神徳 海の神、川の神、水の神として信仰され、農業をはじめ諸産業、厄除開運、交通安全の守護神
一、由緒 欽明天皇二十五年(五六四)創祀され、延喜式内社で、のち肥前国一の宮と崇められ、弘長元年(一二六一)正一位を授けられた。
朝廷の御崇敬あり、また、鎌倉幕府をはじめ武門、領主、藩主の尊信を受けた。
明治四年県社に列す。
一、祭日 春祭 四月十八日
秋祭 十月十日
新嘗祭 十二月十八日

──『境内案内』より原文ママ