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2020年2月14日金曜日

龍造寺八幡宮

佐賀県佐賀市白山に鎮座する龍造寺八幡宮の肥前鳥居(一の鳥居)。
慶長九年(一六〇四)、佐嘉藩藩祖鍋島直茂公正室である藤の方(陽泰院、或は彦鶴姫)が奉献。
慶長年間に多く造られた「慶長鳥居」のうちの一基。





一体化した笠木と島木、貫と柱は三本継構成。扁額には「龍造寺八幡宮」銘有り。貫中央継は新造継へ交換されている。柱転びは小さく直立に近い。下部は太くなり、基部には削り出された生け込み(亀腹)がある。スボリ(柱狭隘部)に形骸化した台輪意匠を持つ。


笠木反りは中央扁額から始まる弓形、船底状鼻先で反増す。断面は五角形の蒲鉾型で、島木は笠木との僅かな迫り出し幅の差によって表現する。また、島木と台輪間に極めて薄い二段目の島木があり、揺籃期肥前鳥居の特徴も併せ持つ。

柱には下記記銘がある。
「大日本國鎮西肥前州佐賀郡 龍造寺若八幡大菩薩奉建立石鳥居二柱
■■主鍋島加賀守豊臣直茂朝臣北方藤女
■■■今上皇帝聖躬萬歳陛下」

「大菩薩■皇道天満方國安泰
神風地豊一門康寧 專■
■政威神力 武勇高仰冠九州
信■薩■感應 子孫永盛流百世
慶長九年甲辰二月彼岸日」





特記すべきは一体・形骸化した笠木(島木)両端に付く角めいた突起状の意匠である。同じ意匠をもつ肥前鳥居として福岡県粕屋郡宇美町に鎮座する湯方社(宇美八幡宮境内末社)の肥前鳥居がある。

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龍造寺八幡宮御由緒も併記する。
当八幡宮は文治三年(一一八七)龍造寺家の始祖なる南次郎李家が建立し、龍造寺八幡宮と称した。李家は平家追討の功によって源頼朝より佐賀地方の地頭職に任ぜられ、居城内に鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の分霊を勧請して祀り歴代手厚く崇拝し祭祀を営んだ。

降って慶長十二年(一六〇七)佐嘉初代藩主勝茂は佐嘉城築城に際しこれを白山町に遷座し、宏壮華麗な社殿を造営して寄進した。慶長九年には藩祖直茂の室北の方藤女が肥前鳥居を奉納して聖上萬歳、国家安穏、武家一門の弥栄を祈念している。

かくて歴代の藩主は佐賀開府の神、城の鎮護の神として尊崇の念篤く、鍋島家の産土神として事あるごとに報告祭又は祈願祭を営み、且つ一般の参詣も許した。廃藩置県後は氏子において一切を御奉仕することになった。──『境内案内』より

2020年1月4日土曜日

與止日女神社

佐賀県佐賀市大和町大字川上に鎮座する與止日女神社の肥前鳥居(三の鳥居)。慶長一三年(一六〇八)、佐嘉藩初代藩主鍋島勝茂公の奉献で慶長年間に多く造られた「慶長鳥居」のうちの一つ。
一体化した笠木と島木、および貫と柱は三本継構成。扁額には「肥前鎮守正一位 河上淀姫大明神」の銘。柱には「扶桑国肥前州路鎮守正一位河上淀姫大明神 奉建立石鳥居三柱 鍋島信濃守豊臣朝臣勝茂」の記銘がある。柱の転び(傾斜)はなく直立で下部は太くなり、基部には亀腹を持つ。スボリ(柱上部の狭まる部分)に形骸化した台輪意匠が有る。





笠木反りは両継から始まる直線、船底状鼻先が反増しを表現。断面は五角形の蒲鉾型で上部(笠木)幅が広く盛り上がり下部(島木)幅は小さい。笠木が島木の幅の違いにより両部分を表現しつつ一体化も表現している。さらにその下(柱接続部)に極めて薄い島木を設ける二段島木構造。この様式は稲佐神社、室園神社、内砥川八幡神社の肥前鳥居にも見受けられ、揺籃期肥前鳥居の特徴でもある。

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與止日女神社略記
一、鎮座地 佐賀郡大和町大字川上一番地
一、御祭神 與止日女命(神功皇后の御妹)、また豊玉姫命(竜宮城の乙姫様)とも伝えられている。
一、御神徳 海の神、川の神、水の神として信仰され、農業をはじめ諸産業、厄除開運、交通安全の守護神
一、由緒 欽明天皇二十五年(五六四)創祀され、延喜式内社で、のち肥前国一の宮と崇められ、弘長元年(一二六一)正一位を授けられた。
朝廷の御崇敬あり、また、鎌倉幕府をはじめ武門、領主、藩主の尊信を受けた。
明治四年県社に列す。
一、祭日 春祭 四月十八日
秋祭 十月十日
新嘗祭 十二月十八日

──『境内案内』より原文ママ