慶長九年(一六〇四)、佐嘉藩藩祖鍋島直茂公正室である藤の方(陽泰院、或は彦鶴姫)が奉献。
慶長年間に多く造られた「慶長鳥居」のうちの一基。
笠木反りは中央扁額から始まる弓形、船底状鼻先で反増す。断面は五角形の蒲鉾型で、島木は笠木との僅かな迫り出し幅の差によって表現する。また、島木と台輪間に極めて薄い二段目の島木があり、揺籃期肥前鳥居の特徴も併せ持つ。
柱には下記記銘がある。
「大日本國鎮西肥前州佐賀郡 龍造寺若八幡大菩薩奉建立石鳥居二柱
■■主鍋島加賀守豊臣直茂朝臣北方藤女
■■■今上皇帝聖躬萬歳陛下」
「大菩薩■皇道天満方國安泰
神風地豊一門康寧 專■
■政威神力 武勇高仰冠九州
信■薩■感應 子孫永盛流百世
慶長九年甲辰二月彼岸日」
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龍造寺八幡宮御由緒も併記する。
当八幡宮は文治三年(一一八七)龍造寺家の始祖なる南次郎李家が建立し、龍造寺八幡宮と称した。李家は平家追討の功によって源頼朝より佐賀地方の地頭職に任ぜられ、居城内に鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の分霊を勧請して祀り歴代手厚く崇拝し祭祀を営んだ。
降って慶長十二年(一六〇七)佐嘉初代藩主勝茂は佐嘉城築城に際しこれを白山町に遷座し、宏壮華麗な社殿を造営して寄進した。慶長九年には藩祖直茂の室北の方藤女が肥前鳥居を奉納して聖上萬歳、国家安穏、武家一門の弥栄を祈念している。
かくて歴代の藩主は佐賀開府の神、城の鎮護の神として尊崇の念篤く、鍋島家の産土神として事あるごとに報告祭又は祈願祭を営み、且つ一般の参詣も許した。廃藩置県後は氏子において一切を御奉仕することになった。──『境内案内』より












